過去のエッセイ   2       

過去のエッセイ2

盆踊り・・・太鼓の音につられて
 近くのどこからか盆踊りの太鼓の音が聞こえてきた。それがどちらの方角かよく分からない。風が吹いているからか?大きな建物に反響しているからか?
 小学3年の娘が浴衣を着ていた。それは単なるお祭りらしくという演出であって、盆踊りをするわけではない。会場での出店で買い物が目的だ。8時に帰るので迎えに来てほしいと言って足早に出ていった。僕
は8時に迎えに行くとは言ったが、和太鼓のリズムやあの盆踊り会場特有の音色の悪い拡声器から流れる歌声やアナウンスを聞いては、胸躍りじっとしていられない。娘は嫌がるだろうと思いつつ、約束の1時間前に会場に入った。
 小学校の校庭の中心部にはやぐらが建ち、そこの中心部から四方八方に緩やかなたわみを残して張り巡らされているロープに、等間隔に提灯が結ばれている。地元商店の名入れの提灯の連なりは、忘れかけた遠い昔の思い出を呼び戻させる、そんな力を秘め、多くの大人達を幻惑させ、その元に皆を導き寄せている。会場はかなりのにぎわいだ。しかし外の街灯と提灯の明かりそれと星、それだけの光源しかない暗めのトーンの会場は、人の多さと裏腹に不思議な静けさも醸し出している。
 とても娘は探せない。時間もある。すぐさま盆踊りの和の中に入った。踊りが分からないので、最も上手そうなご婦人の後ろに入った。男は僕だけだった。盆踊りの動作は、同じパターンを何度となく繰り返す。そして同じ円の軌跡を辿り、皆と一緒に踊る。頭は空になり、雑念がなくなる。いつまでも踊っていたくなる。
 踊りに夢中になっているさなか、後から誰かに呼び止められた。娘と友達達だった。娘から8時であることを告げられた。帰る時間だ。なんだか迎えに行ったはずの自分の立場が逆転しているようだった。「もう少しいよう」という僕の言葉は遮られた。
 翌日も盆踊りが行われた。しかし僕は行かなかった。いや行けなかった。家族から盆踊りをすることを固く禁じられたからだ。なぜか2日目の太鼓の音が昨日よりも遠くから聞こえてくる様な気がした。


...名曲案内
 雨のおとが きこえる
 雨がふっていたのだ。

 あのおとのように そっと世のために
 はたらいていよう。

 雨があがるように しずかに死んでゆこう。

                                              (詩 八木重吉)

 多田武彦作曲 有名な男性合唱組曲「雨」の終曲として知られる。この季節しみじみと歌を聴いてみた。この詩のもつ静けさは胸にしみる。この詩の作者、詩の背景は知らない。寂しいとか悲しいとか感じるかもしれないが、そう思う前に、この雨はどんな降り方をしている雨か、どんな空の色か、どんな音か、どう雨があがっていくのか、感じとってみたくなる、そんな歌(詩)でもある。
僕の好きだった通り
 昭和30年中頃。僕は幼年時代を豊島区、池袋駅にほど近い閑静な住宅街で育った。まだ池袋駅周辺には、空襲での焼け跡が点在していた。街はバスと電車のあいのこの※トロリーバスなるものが走っていた時代だ。私の住んでいた家は、路線バスの通り道に面し、大型バス(ボンネットバス)がすれ違うことのできる程の比較的道幅の広い通りだった。平屋の縁側を広くとった伝統的日本家屋。建物の一角には鋭い勾配の洋風の増築部が組み合わされ、当時は子供ながらに美しい建築と思っていた。そしてもう一つ子供ながらに美しいと思っていたことは、通りの両サイドが数百メートルにわたって、すべて生け垣で埋め尽くされ、緑の側壁が、大人の背丈より少し高い位置できれいにそろい連なっていたことだった。昔とはいえ、このあたりは空き地はほとんどなく、紛れもない都会の一角だ。
 
緑の垣根は、外部を遮断してくれる。生け垣が遮断してくれる内なる世界は、その意味で寒々しいブロック塀と同じ効果を発揮する。でも大きく違う。それは内側の自らの庭に対しては、借景(遠くの山や隣家の植木などを自分の庭園の遠景に見立てる)となる。そして外部から見た姿は推して知るべしだ。美しいのだ。通りを歩いていて長い生け垣に出会うと心持ち、歩く速度も遅くなる。生け垣は外に向かっても訴え、公園の緑地帯となんだ変わりはない。
 私は現在その生け垣があった場所から10分ほど離れた場所に住んでいる。だから長い生け垣があった所をよく行き来する。
 
現在その生け垣は残念ながらとぎれとぎれになり、通りにできた最近の家は、生け垣をつくる空間が、さももったいないかのように通りぎりぎりまでまでせり出している。僕の好きだった通りは遠くへ行ってしまった。

※トロリーバス・・・バスだが上にはられた線より電気を受け走る。線路はなく道路を走る。

 
 学生王子のセレナーデ
 「お花見」という名目で、学生時代の友人達(女性も含めて)7人と新宿で集合。今日は4月12日なので、都心では「花見」というには、あまりにも時期を逸している。実際、仲間内からは花見の「は」の字もでない。「花より酒」なのだ。花を愛(め)でる気持ちがない分けではないのだが?まあ時間がもったいないので省略だ。
 普段、酒を飲んだり、食事をしたり、お茶を飲んだりするときに、結構意識するのは、「雰囲気の良いお店」だ。ところが僕たち仲間が最近利用しているお店は、「○○食堂」という極めて、あか抜けない、品のない、絶対に若い女の子達が寄りつかないだろう類の安食堂だ。どうしてこんな店を選んだかというと、それは、安上がりだからという分けではない。当時金のない学生の僕たちが辛うじて入れるお店。青春を気取って、長々と語り合った店。そんな当時の店を彷彿とさせてくれるノスタルジーからだと思う。
 今はちょうど昼。新宿の雑居ビルの一角を占めているこのお店の店内はかなり広く、客は半分くらいの入り。みな定食を食べている。僕たちは、愛想のない年輩の店員にビール頼み、宴を始める。そのうちすぐにアルコールが回り始め、みな、さらに饒舌になる。僕たちは分別のある?中年だ。 声が大きくなり、まわりに迷惑のかからないように、仲間の一人が、注意を始める。(だいたい注意を促す奴の声の方がうるさい)皮肉にも、「声を小さく」と制止するほど、騒がしくなるものだ。・・・・・・・・・・僕たちは、もと合唱団員。皆やたらよく声が通るのだ。
 話の内容など、どうでもいいのだ。みな話のリズムに酔っている。そして終盤、テンポと強弱を巧みに操り
ながら最終フレーズへ。そしてクライマックスへ。
最後のタクトの振りおろしは、終わりではない。「さあ 次の店へ行こう!」の合図である。

 僕は会話の中でふと、みなに気づかれないように沈黙して昔を思った。
そして目の前にいる仲間のことを思った。
安食堂にBGMはないが、仲間達は、大騒ぎの会話の、ほんの途切れた一瞬に、
僕と同じように「甘く、せつない」学生の頃のメロディーを何度も聴いているに違いないと思った。
                                             (学生王子)

 僕はよちよち歩きの小さな子供の手をとって、家の前のほとんど車の通らない通りに出た。子供は家の中では、よちよちとはいえ、とりあえずせわしなく歩きまわっている。もちろんそれは、ほとんど心配はいらないのだが、やはり道路に出るとなると四六時中手を掴まえていないと、とても心配でいられない。
 
通りに出てまもなく、正面から一人のご婦人が、座敷で買っているだろう小さいかわいい犬を連れて、こちらへ歩いてきた。犬を我が子のように可愛がっていることが、着せているおしゃれな服で解る。僕は、子供に「ワンちゃん可愛いね」とまさに言わんとした一瞬先に、すぐそばまできたご婦人の声が聞こえた。「可愛いわね。赤ちゃんよ」犬に話しかけているのだった。先を越された僕は、子供にその言葉がかけられず、子供と一緒に犬を見つめながら、ご婦人とすれ違った。
 一寸ちょっと考えた。「なんかへんだ」。後ろを振り向いてご婦人と犬を見送った。犬はご婦人と歩調を合わせ上品に歩いていた。                         T、M

 
春は名のみの風の寒さや・・・・

弊社の窓から撮った梅の木。よく刈り取られた下草の地面に多くの鳥たちが集まり、何か解らないが餌をついばんでいる。ガラス越しに見ているせいか、鳥たちは僕の存在に気が付かない。そんな様子に春を感じるが、窓を開けると鳥たちが逃げ、寒い冷気が顔をうった。  
弊社委員T、M 「お料理に挑戦」レシピ紛失のため掲載できませんでした。ごめんなさい
 
 先日、実家に帰省した際、たまたま料理番組を見た。スペアリブのパイン煮だった。暇を持て余していた私は同じものを作ってみることにした。 料理はそれほど苦手ではない。が、その日はアルコールが入っていたので手元がくるった。最初の塩が多くかかってしまったのだ。気になったが酔っぱらっていた勢いもあって、そのまま肉を焼いて調理を続けた。塩のかけすぎは忘れ、すばらしい出来上がりを想像して、調理に励んだ。そして完成。つぎに試食。
そこで楽しい気分は吹き飛んだ。「塩っかれ~~ ま、ま まずい!!!」。・・・・・ 
そこへ父が通りかかった。父は私に許可もなく手を伸ばし、スペアリブを口に入れた。
即座に
父 「おお!!!こりゃうまい!いい味だ。」と絶賛。
私 「えっ?」・・・・。
父 「しかし美味いな もうひとついいか」 
私 「あぁ?」
父 「おまえがこんなに料理がうまいとはなあ」
私 「うう?」

私は父に誉められれば誉められるほど「ガクッ ガクッ」ときた。

父はごはんにしょう油をかけて食べても美味いという人間だった。
要するに塩気が濃いければ満足する、食に鈍感な人種だった。

私にとって「うまい!こりゃうまい!」の父の連呼は、大失敗の烙印だった。

                           T、M


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